2016年1月30日土曜日

『作家の収支』

森博嗣(2015)『作家の収支』幻冬舎


<きっかけ>
・著者の、淡々と観察の結果と論理的帰結を述べる冷徹さと、曖昧さを多く残す詩的な文章の組み合わせは、このブログでも何とか実現できないかと模索している。『作家の収支』というタイトルを見たとき、こんな本は日本でこの著者しか書けないだろうと思った。経済的合理性を追求することとは最も遠いように思われる作家の経済活動を記録・観察した書籍から、両者の交わり方を学びたいと思った。
・著者は「お金のために文章を書いている」と公言している。だからこそここまで続いたとも記載している。日本の慣習としてあまり好ましくない態度ではあるが、ビジネスや経営にも何か活かせることはないかといつも考えていた。


<読む前に期待したこと>
・小説家は下記の2つの点で特徴的な仕事だと思う。一つ目は、小説家は、自分の仕事と売上に直接的な因果関係があるとみなされる点数だ。事業会社の営業マンだと、販売成績が悪いのは、商品が悪かったり、需要がそんなに高くない時期に営業活動をしていたり、会社の認知度が低いといった要因も考えられる。しかし一方で、小説家の場合、出版社のプロモーションが弱いとか、書店が協力的ではないといったことはあまり大きな理由としては考えられない。中身が全てである。


・ただ一方で、作業は自分ひとりで執筆することになるため、サイエンスがあまりないというのが二つ目の特徴だ。工場であれば、生産性の指標がたくさんあるし、どういった環境や教育を整えればより短時間でよいものができるかといったPDCAがある。小説家の仕事は、その対極にあると思う。勤務時間は不規則で、部屋は資料で散乱しており、締め切りぎりぎりになって旅館にこもって仕事し、前の仕事から特に何かを学ぶといったことはなく、その都度その都度が真剣勝負・・・といったイメージがある。

・本書を読むことで、従来の小説家が感覚的な仕事であったのに対して、サイエンスを持ち込んでいる箇所を見つけることを期待する。ごりらは海外で会社の立ち上げを経験して、6部署の立ち上げを行った。何も業績測定の指標がないところから、業績指標を設定して生産性や仕事の質を高めてきた経験から、漠然とした職人仕事にサイエンスを持ち込むのが、いつもわくわくすると感じる。周りを巻き込んでその指標が高くなって、お客さんにも喜んでもらえたら、さらに仕事のやりがいを感じる。本書により、新たなサイエンスのヒントがあるのではないかと期待している。


<実際に読んでみて>

随所に著者の合理性を重んじる態度が観察できる。

・講演の時給を40万円で設定する(pp102)。これは、きちんと仕事を受けるかどうかの軸があるということだ。

・仕事の目的が、遊ぶ金ほしさだったが、遊ぶ時間がなくなってきたため、2008年に引退することになった(pp112-115)。仕事の目的を最初に設定し、その目的が達成できたら欲を出さずに撤退できるところがすごい。

・「小説は、1万人以上が買えば商売として成立する」(pp134)とある。これは、損益分岐点をいつも意識しているということだ。

・「小説を執筆するのが好きではない」(pp196)とまで言っている。仕事だから嫌々やっているとのことだ。

<その他>
最初に読み始めた問題意識とは異なるが、下記の文章に思うところがあった。

自分が好きなものを知っている人は、その好きなものに金をつぎ込むだけで、一般的な贅沢をする必要がないからだ。好きなものがない人は、普段から他人のことを羨ましがっている。だから、大金を手にしたら、自分もそんな贅沢がしたい。つまり、人から羨ましがられたいという願望を持っている。

つまり、自分の好きなものがはっきりわかっている状況こそが、その人を成功へと導くという例が多い。

(中略)

今の僕は、広い庭で毎日草刈りをしたり、種を蒔いたり、雑草鳥をしたり、水やりをしたりしている。

(中略)

ときどき、機関車に乗って、自分の庭を巡る。森林の中を抜けて行くとき、「気持ちが良いなあ」と感じる。ただそれだけのことである。誰かに自慢をするためにやっていることではないし、また、自分以外の人に価値があるとも思わない。

(pp171)

この文章のおかげで、お金はかからないが、自分が仕事以外でやりたいことが今、二つもあることに気づいた。







今日のインプット

なし



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