2016年4月21日木曜日

仕事が終わらない(上)

日本では、よい意味で仕事量が管理されていたと海外に出て痛感します。


海外赴任する前の最後の6ヶ月、仕事にも慣れてきており、また上司(とその上司と、さらにその上司)にも信用され始め、上司から指示された受身の仕事に加えて、自分で考えて企画書を作成したり、チームメンバーの教育資料を作ったりするといった能動的な仕事ができており、仕事への満足度は非常に高かったです。業績についても、部署として11ヶ月連続で目標を達成するなど、絶好調でした。


海外赴任が決まり、ごりらは最初、従業員規模200人の海外子会社に出向していろいろな部署の手伝いをするとともに、日本語の報告書や計画書の作成に携わっていました。日本人は最大で4名いましたが、様々な外的要因と内的要因により、ごりらが異動する時には2名になりました。2名になってからが特に大変でした。会社としての問い合わせは、全部ごりらに来ます。5Sの取り組みに始まり、システムメンテナンスの状況、同業他社のM&A、お客様のよろこびの声、日本でこんな事故があったが、そっちは大丈夫か、といった問い合わせに対応したりと、本当に大変でした。


日本では、上司はごりらがどんな仕事を抱えていて、今忙しそうなので他の人に振るか、自分で担当するかといったことを考えてくれていました。一方で海外では、ごりらが何を今抱えているかなど、問い合わせの依頼者である(主に)日本本社は見えていません。これが、本当にこたえました。日本本社は一方的にメールを送りつけ、一方的に期日を定め、期日が過ぎれば督促の嵐。さらにこちらの会社では会社でも複数のレポートラインがあり、事実上2人の上司から仕事が振られます。その結果、ひどいときは、常に3本くらいの報告書が期限を過ぎていたと思います。9時に出社して、24時ごろまで仕事をしても、それでも仕事が終わらないといったことが半年くらい続きました。このハードワークに最初に堪えられなくなったのは、運転手です。1年間で、運転手が長時間勤務に堪えられず5回入れ代わりました。


忙しい割りに、仕事がつまらなかったのもこの時期です。ずっと長時間の受身の仕事で、海外に出て積極的に自分のやりたいことができると期待していたのに、いつも敗戦処理のためにマウンドに向かうピッチャーの気持ちでした。気持ちが塞ぎ込んでいて、督促のメールに対して責任転嫁するようなことを書いてしまったこともありました。正直に白状すると、この業務過多の危機的状況を、うまくソフトランディングできたわけではありません。この時期、いろいろな人に迷惑をかけて助けてもらいました。このときに励ましてくれた人、相談に乗ってくれた人、傍にに寄り添ってくれた人には、今も本当に感謝しています。いつか自分が困っている人を助けることが、恩返しだと思っています。


明日に続きます。



今日のインプット

なし

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