2016年7月1日金曜日

(144)「夢に関する物語をおまえに話しておきたい」



「夢に関する物語をおまえに話しておきたい」と錬金術師が言った。
少年は馬を近づけた。

「古代ローマのティベリウス帝の時代に、二人の息子を持つ善良な男がいた。息子の一人は軍隊にいて、ローマ帝国の遠い地方に派遣されていた。もう一人の息子は詩人だった。美しい詩を書いては、ローマ中の人々を喜ばせていた。

ある夜、父親は夢を見た。天使が彼の前に現われて、二人の息子のうちの一人の言葉は、これから永遠に世界で学ばれ、くり返されるであろうと告げた。父親は夢から覚めると、ありがたくて泣いた。人生は寛大であり、どんな父親でも誇りに思うようなことを、知らされたからであった。

しばらくしてその父親は、戦車の車輪にひかれそうになった子供を助けようとして、死んでしまった。彼は一生、正しく公平に生きたので、まっすぐ天国に行った。そして、夢に出てきた天使に会った。

『あなたはいつもとても善良な方でした』と天使は彼に言った。『あなたは人生を愛に満ちて生き、尊敬のうちに死にました。ですから、私があなたの望みを何でもかなえてあげましょう』

『私にとって、人生はすばらしいものでした』と男は言った。『あなたが夢に現われた時、私の努力はすべて報われたと感じました。なぜなら、私の息子の詩が、将来何世代にもわたって読まれると知ったからです。私は自分のためには何もいりません。しかし、父親ならだれでも、自分が愛し教育した子供が得た名声を、誇りに思うことでしょう。遠い将来のいつか、私は息子の言葉を見たいと思います』

天使は男の肩に手を触れた。すると二人はずっと先の将来へ飛んで行った。彼らは広大な場所で、知らない言葉を話している何千人という人々に囲まれていた。

男は幸せで泣いた。

涙を流しながら、彼は天使に行った。『息子の詩は不滅だと、私は知っていました。息子のどの詩をこの人たちがくり返しているのか、教えてくれますか?』

天使は男に近よると、やさしく彼をそばのベンチに連れてゆき、そこに二人で腰をおろした。

『詩人だった息子さんの詩は、ローマではとても人気がありました』と天使は言った。『みんながそれを愛し、楽しんでいました。しかしティベリウスの治世が終わった時、彼の詩は忘れ去られてしまいました。あなたが今聞いている言葉は、軍隊にいた息子さんの言葉です』

男は驚いて天使を見た。

『あなたの息子は遠くで任務につき、百卒長になりました。彼は正しく善良な男でした。ある日の午後、彼の召使いの一人が病気になって死にそうになりました。あなたの息子は、病気をなおすことのできるラビの話を耳にしました。そして、何日も何日も馬に乗って、その男を捜しに出かけました。その途中で、自分が探している男は神の子だと、彼は知りました。また、その男にいやされた人々にも会いました。そして、その人々はあなたの息子に、その男の教えを伝えました。彼はローマの百卒長だったにもかかわらず、その教えに帰依しました。それから間もなく、彼は探している男がいる場所に着きました。

彼はその男に、自分の召使いの一人が重病であると言いました。するとそのラビは、今すぐ、彼と共に病人の家へ行こうとしました。しかし、百卒長は信仰の厚い男でした。ラビの目を見つめた時、彼はその男が確かに神の子であるとわかりました。

そして、あなたの息子はこう言いました。』と天使は男に言った。

『そのとき、あなたの息子がラビに向かって言ったのは、次のような言葉でした。そして、その言葉は決して忘れられることはありませんでした。<主よ、私の屋根の下にあなたにおいでいただくほど、私は価値のある者ではございません。ただ、お言葉をください。そうすれば、私の召使いはなおります>』

錬金術師は言った。「何をしていようとも、この地上の人は、世界の歴史の中で、中心的な役割を演じている。そして、普通はそれを知らないのだ。」

少年はほほ笑んだ。それまで彼は、人生は何かという問題が羊飼いにとってそれほど大切なことだとは、想像したこともなかった。

「さようなら」と錬金術師が言った。
「さようなら」と少年が言った。



パウロ・コエーリョ著;山川絋矢・山川亜希子訳(1994)『アルケミスト ー 夢を旅した少年』地湧社、pp188-192




小説は、時を経てもう一度読んでみると、違った思いを持つ。


20年以上前にこの本を初めて読んだとき、悩んでいたことがある。確か、社会の授業で、歴史を学び始めていたころだ。ごりらが愕然としたのは、歴史に名前を残している人って、これしかいないのか、ということだ。


歴史の教科書は、まるで日本には、卑弥呼や足利義満や徳川吉宗しかいなかったかのようだった。でも、彼ら彼女らの歴史には、常にその他大勢の民衆がいた。その人たちの人生って、1000年もたったら、なかったことになってる! ということに、本当に愕然とした。


歴史の教科書で、太字で残れる人になりたい――将来の子供たちは、自分の名前をマーカーで引いて試験前に覚えるようになったらいいな ―― 少年ごりらは、そのとき思った。そうでなければ、あまりにも悲しいではないか、1,000年も経てば、自分が生きていたことが、なかったことになっているなんて。


小説のシーンは、錬金術師と少年が分かれるところだ。錬金術師は、「何をしていようとも、この地上の人は、世界の歴史の中で、中心的な役割を演じている。そして、普通はそれを知らないのだ。」と言う。この言葉に、当時はいくらか救われた。


大人になるにつれて、自分の限界が次第にわかってくる。自分よりも遥かに発想に優れた人間が世界にはたくさんいるし、ほかにも、自分より英語のできる人間だってアジアにだってごろごろいるし、短い時間で物事の本質にたどり着ける人間、体力のある人間、年上なのに髪の毛が残っている人間、運動神経のよい人間、お金持ちの人間、人から無条件で好かれる人間、・・・・・・どのような分野においても、自分が世界一である分野は何もないと、はっきりと言える。


「大人になる」とは、正しい自己評価ができるようになることだともいえる。正しい自己評価ができるようになったごりらは、自分が歴史の一人物になれる可能性がないことがわかり、次に、何を考えたか? 


当時夢中になって読んでいた池田晶子さんの本に気づかされたのは、言葉が普遍であるということだった。みんな自我をもっていて、ばらばらな意識を持っている。でも、共通の言葉をもっているから、相手の考えていることが分かる。ということは、普遍的な考えというものがもともとあって、そこから自我が分かれたのだ。


ずっと残る自分の言葉が残れば、というよりは、普遍的な言葉を見つけ出し、残すことができれば、永遠の中に自分は生きることができるのではないか。あるいは、自分の信念に基づいた行動で、他人に影響を与えられることができるのではないか。その影響が広範囲かつ持続的に続けば、自分は生き続けることができるとも言えるのではないか。


この文脈で、今までの人生で二つ嬉しかったことがある。一つは、自分が学生時代にしていた教育関係の仕事を、三人の生徒がそれぞれ別の形で引き継いでくれたことだ。二つ目は、自分の信念に基づいて間違っていることは間違っていると勇気を出して指摘したことを、途中で敗れて離脱した自分の代わりに、残された人が支持し、行動に移してくれたことだ。誰もが読めるブログで書けるのはこれが限界だが、人生でこんなに嬉しかったことはない。



閑話休題。この話は「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」というマタイによる福音書の4章4節から来ているのだと思います。


写真は、人生で何千回もみた夕焼けの中でも、本当に美しい海沿いの夕焼けでした。この写真と、錬金術師と少年の別れを描いたこのシーン、そして自分のエピソードをオーバーラップしたくて、この本を選んだともいえます。






今日のインプット

なし



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