2017年5月8日月曜日

いつまでinput続ける気ですか

英検スピーチの素です。


<きっかけ>
<日本語で考えたこと>
<英語の構成>
<英語でまとめ=スピーチ原稿>
<その他>



<きっかけ>
今、人生の中で一番意見を言うことを要請されている状況におり、今まで自分が受けてきた日本の教育との違いを痛感しております。



<日本語で考えたこと>
日本の教育は覚えること重視input-drivenで、欧米の教育は覚えたことを使うこと重視output-drivenするという対比のされ方をします。欧米の教育事情はよくは知りませんが、数少ない友人関係からの雑談上、当たっていると思います。


日本では少なくとも大学入学までは、いかに効率的に正確に覚えたかに教育に力点が置かれていると感じます。ごりらが思うに、政府と経済界が一体化して成長を遂げてきた高度経済成長期は、お上(政府・経団連)の言うことを信じて業務を執行してくれる人材がいれば十分だったのではないでしょうか。そんな中で、自分で考えて多数派と異なることを意見する人材がいても、組織の運営上困るだけだったのです。また、教える先生側も、自分たちが受けてきた知識偏重の教育をわざわざ変えて、考える生徒を育成する動機がなかったのではないかと思います。


今は学校で教えていないのかもしれませんが、全く意味がないとごりらが感じているのが、漢字の書き順です。文書が電子化されているこのご時世に、書き順を間違えたことで減点される必要はあるとは思えません。科目としても不満があります。感想文はたくさん書いた記憶がありますが、誰かを説得することを目標として意見を書いたのは、中学時代は「少年の主張」という年に1回のイベントだったと記憶してます。ごりらは大学に入って演習の授業で意見を言う機会が増えて、とても嬉しかったのを覚えています。もっと中学高校のときからアウトプットする機会があればよかったと思います。


答えが一つしか許さないのも、日本の学校教育ならではだと思います(少なくとも大学入学までは)。逆に言うと、答えが一つしかでないような問いしか聞かないのも、日本の教育の特徴です。


「いやいや、アウトプットするにはインプットがなければできないじゃいか」というそこのあなた。いったいどれくらいの知識があれば、意見を堂々と言えると思いますか? おそらく、下のグラフのように考えておられるのだと思います。知識を蓄積していけば、どこかで転換点が来て、自分の意見への自信がやってくる、と。
















(知識を貯めれば貯めるほど自信をもって発言できる?)





ごりらの経験上、ある意見を述べる際に、その意見を支えている知識を積み上げる「だけ」では、転換点はやってきません。知識を披露し、間違いを指摘され、また、より状況を正確に記述した仮説に自分で気づいたり、他人が分かるような説明の仕方を、アウトプットを通じて学んだときに初めて自信がつきます。


言い換えれば、ある意見を述べる際に、どれだけ周辺情報を集めて、正確かつ効率的に記憶したかは、「本番で」相手を説得できるかにはあまり関係なく、どれだけ「本番前」にアウトプットの機会を持つことで、小さなミスに気が付いて修正を加えたかが重要だと考えます。グラフにすると下記になります。













(発言すればするほど記憶できる)
(フィードバックを受ければ受けるほど軌道修正して次に自信をもって発言できる)






この関係は、外国語で何かを言うときにも成り立っていると思います。とにかく話してみて、それを元に反応が返ってきて、都度修正したほうが、より効率的にインプットすることができます。


先進国の中ではユニークな日本の教育スタイルを変える時がきたとごりらは考えます。日本の人口はどんどん減ってきていて、総務省によれば2050年には9706万人に減少すると予想されています。これからも税収を維持すべく、外国人労働者の割合がより一層増えていくと思います。そのような中、自分の意見を言うことに慣れていなかったり、意見の異なる人との議論の上で落としどころを見つけて行動設定に結びつけるのは、これまでの教育方法で訓練するのは限界にきていると思うのです。



<英語の構成>

結論:初等教育でアウトプットを増やすべき

理由①:AIにより、覚えることに意味がなくなってきている

理由②:アウトプットしたほうが(インプットだけよりも)インプットも効率的になる。

理由③:日本人だけで日本経済が成り立っていた時代は終わった。
結論:最初と同じ



<英語でまとめ=スピーチ原稿>


I contend that Japanese primary education should focus more on students’ putting out their thoughts instead of putting in information. There are three reasons for this.

First of all, it is an obsolete way of thinking that memorizing information in primary education. Looking around the situation where more and more artificial intelligence prevail in our business and daily scene, the value to remember the formula of mathematics and the correct order of Kanji becomes less and less. Of course it is necessary for us to remember the basics of the theory. However, the most important thing primary education should teach is how to apply to it.
            

   Secondly, putting out thoughts helps us input more precisely and effectively. The best time for me to enhance my skill of accounting and English was the time when I teaching. When we are putting out our thoughts, we have to organize our thoughts to make every audience understand it. Output is a good process for us to remember a theory in a well-organized way.
         

    Finally, given the global age, it is important for Japan to cultivate the youngsters who don’t hesitate to show their opinion.  Whether people in Japan like it or not, more and more non-Japanese people will work with Japanese people. In the global context, keeping silent during a meeting is not the implication of attentive hearing, but free riding of the discussion.  The past input-driven education system should be fine as far as the business environment is not changed. However, once the situation is changed, the Japanese government should adopt itself to the environment.


            For those three reasons, in my opinion the Japanese education system should spend more time on putting out thoughts. If the education system would not change, Japan could lose competitive advantage in the world.  



<その他>
・他のスピーチの素はこちら


(2018年4月1日追記)
Z会グループの大学受験予備校のディアロ(ホームページはこちら)で、アウトプット中心のスタイルで授業が進められていることを知りました。経験的にも、教えることで理解が進むのはその通りだと思っていたので、この塾、自分だったら入りたい。



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