2017年10月29日日曜日

実は人間はみんな利己的なのか

英検スピーチの素です。英検1級の2次試験で問われそうなテーマについて、考えたことを英語で書いてみました。



<きっかけ>

<日本語で考えたこと>
<英語の構成>
<英語でまとめ=スピーチ原稿>
<その他>





<きっかけ>
ずっと昔、私が困っているところを半年くらいに渡って、信じられないくらいの程度で助けてくれた人がいました。また、ずっと昔、頼んでもいないのに「これはあなたのためだから」と言って押し付けてくる人(たち)がいました。彼らの動機は何なんだろう、とずっと考えていました。一つの単純な解は、「それが自分のためにもなるから」だと思います。前者には、そう思いたくないという期待を、後者には、そうなんだろうなという諦念を、ずっと抱いてきました。ずっともやもやと考えていたことを、社会人として整理して考える習慣ができたことを活かして、英語でつらつらと書いてみたいと思います。



<日本語で考えたこと>
人のことを利己的と述べるとき、それは行為についてか、意思についてかの二つに分かれると思います。マトリクスを描いてみました。





行為については、行為を行った人に注目して、結果として自己利益に繋がるものと、自己犠牲となるものに分類しました。





意図については、自己判定なのか、他人が判断する他己判定の二つに分類しました。





行為に戻ると、まずは行為を行った人に注目して「自己利益」「自己犠牲」グループに分類しましたが、その行為を受けたの効用が増えたのか減ったのかで、それぞれ描きます。+は、プラスの効用になったことで、-は、マイナスの効用になったという意味です。






意図については、「自己判定」「他己判定」のそれぞれ利己的、利他的の2つに分類しました。






これで準備が整いました。


実は人間はみんな利己的だ」という言明を聞くとき、それは上の図でどのエリアを示しているでしょうか。 行為が自己犠牲を伴うものでありながら、実はそうではないということを示していると考え、下のブルーのエリアで考えてみました。






意図については、自分が利己的だと考えている場合は、「実は人間は利他的だった」という発見には繋がりませんから、「自分ー他人+ × 自己判定で利他的」(タイプA)と「自分ー他人+ × 他己判定で利他的」(タイプB)に分類されると思います。




タイプAについては、自分で意図する自己犠牲だと言えます。「お昼をレストランで食べたいけれど、熊本地震で困っている人を助けるために、この500円を募金しよう(ワタシってエライ)」 


タイプBについては、他人の判定で利他的と判断される崇高な行為です。よくは知りませんが、マザーテレサのインドでの活動はここに該当するのではないでしょうか。自分を超えた何かに突き動かされて他人を支援して、そこに人は感動するのだと思います。


一方で、こういった利他的な行動について、「一見すると利他的に見えるが、利己的だ」と指摘があります。これは心理的利己主義と呼ばれています。心理的利己主義の提唱者は、タイプAおよびタイプBのどちらに対しても、冷笑的な反応を示します。







心理的利己主義の最初の指摘は、利他的行為をした人が気づいているかどうかは問わず、実は損得勘定で利他的行為をしているのではないかというものです。短期的には自分の損になったとしても、長期的に自分に返ってくるからこそ、人は利他的に行動できるのだ、そう考えるのです。


心理的利己主義の二つ目の指摘は、一見すると利他的な行動で、しかも意図が崇高なものであったとしても、そういった利他的行為は単なる自己満足に過ぎないというものです。心理的利己主義によれば、利他的な行為は、むしろ他人を自分の幸せの道具にしており、しかもそのことに自覚的でない点で、たちが悪いと考えるのです。



なかなか魅力的に見える理論です。どうやら人は、なるべく少ない言葉で自分たちの性質を示す言葉(この場合、「結局のところ人は、みんな利己的なんだ」)を探しているように思います。また、ひとたびその理屈を受け入れると、その理屈から外れるような事象は見えなくなってしまったり、見てもすぐ忘れるか見なかったことにする傾向があります。


しかし、果たして本当に人はみんな利己的なのでしょうか。ごりらはそう思いません。心理的利己主義の二つの指摘をそれぞれ吟味してみましょう。


一つ目の「実は計算してる」という指摘についてですが、ごりらは打算であったかどうかまでは考える必要はないと考えます。そもそも、結果として他人の効用が高まる行為のことを、利他行動と呼ぶはずです。


心理的利己主義によれば、「川で溺れている子供を助けようと川に飛び込もうとした人は、後で警察から表彰されることを期待している(だから評価されるべきではない)」「自分のお金を貧しい人のために寄付した人は、後でみんなからちやほやされることを知っているからそうしたのだ(だから褒めるべきではない)」と指摘します。しかし、利他的行動とは、起点として「誰かを助ける行動」であったはずです。


川に飛び込んで子供を助けても、自分が溺れて死んでしまう可能性だってありますし、警察から表彰されないかもしれません。寄付をしても、誰もちやほやしてくれないかもしれませんし、むしろあとで家族から非難されるかもしれません。リスクに応じたリターンが分からずに、その人は献身的な行為を行ったのです。これを利他的行動と呼ばずに、何を利他的行動と呼ぶのでしょうか。


さらに、心理的利己主義の冷笑的な分析は、これから利他的行動を行おうとするほかの人に対しても「呪い」として機能します。「自分がこれから助けようとしている行為は、実は自分のためにやっていると思われないだろうか」「そのことに無自覚な自分は、実は嫌な奴なのではないだろうか」繊細な人ほどそのように考えるはずです。


声を大にして言いたいです、「誰かを助ける行動、助けようとする行動は、利他的行動である」と。その後何が起こったかは別として、相手の効用を高めようとする行為は、利他的行動です。


ただ、少し補足する必要があるかもしれません。例えばここに、リターンが大きそうなことだけに絞って利他的行動をしている人がいるとします。誰かに注目されそうなことは積極的に利他的に振る舞い、誰にも注目されそうにないことには何もしないような人のことです。この人が利他的な人かの判断は保留しておいて、少なくとも、その人が案件として取り扱った利他的な行動については、利他的な行動として評価してあげるべきだと思うのです。


二つ目の「実は自己満足」についてですが、これも利他的な定義を勘違いしていると思います。心理的利己主義の提唱者の考えを示すと、下記のとおりです。


①人は今、自分の一番やりたいことしかしない
②利他的に見える行動も、その人が今一番やりたいことをしているのだ
③一番やりたいことをしていることは、別に褒めることではない。
④利他的行動も、別に褒めることではない。


①から②へのつながりのおかしさは、以前書いてますね(→楽しくないことをするべき時はあるか)。人は、誰かにコミットしてしまったり、影響を考えて自分がやりたくないことも行うことがあるのです。

なぜ心理的利己主義者は、「①人は今、自分の一番やりたいことしかしない」という信念を持つようになってしまったのでしょうか。思うに、利他的な行動が、その行動を起こした人の満足を引き起こすことが、心理的利己主義の提唱者には気に入らないようです。ところで、利己的な行動あるいは意図とは、他人の幸福を考慮すべきときに、自分の幸福のことだけを考慮する行動あるいは意図のことでした。すると、川で溺れる子供を助けようと川に飛び込んだ斎藤さんは、他人を気遣う人だからこそ、つまり、自分の幸福のことだけを考える人ではないからこそ、川に飛び込んだのではないでしょうか。まとめると下記のとおりです。


■心理的利己主義の考え
①利己的な行為 = 自分が満足する行為すべて
②利他的な行為 = ない (「自分ー、他人+」の場面で、自分が満足しない行為?)


■ごりらの考え
①利己的な行為 = 周囲の人の幸福をまったく考慮しない行為(考慮すべき時に)
②利他的な行為 = 周囲の人の幸福の重きを、普段より(対自分、対他人)多く置いた行為


最初の論点とも重なりますが、他人の幸福を気遣って、自分の効用が失われることを気にせずに行動することを利他主義的行動と呼ばずに、一体何を利他主義的行動と呼ぶのでしょうか。少なくとも、誰かの行為を評価するときに利用するときは、①結果として助かった人がいる、②利他行動をした人が満足を得ることは問題ではない、という二点の理由から、心理的利己主義は採用すべきではないと考えるのです。




<英語の構成>
結論  利他的行動を評価するとき、意図は考慮するべきではない。
理由① 利他的な行動の結果に注目するべき。結果に注目すれば、支援の輪は広がる。
理由② 利他的な行動から幸せを感じることは決して利己的なことではない。
結論  心理的利己主義を行動の評価に使うのは誤っている。



<英語でまとめ=スピーチ原稿>
  Although some people insist that human nature is egoism in essence, I contend that appreciating altruistic behavior should be separated from how we interpret others’ behavior. There are two reasons for this.


  First of all, it is important for us to pay attention to consequences, not intention when we evaluate others’ behavior. The advocates of psychological egoism cynically laugh at altruistic behaviors assuming that the intention behind those behaviors is egoism. People who courageously help a drowning child may be driven they will be pampered by a plenty people later on. People who donate money to charity may be incentivized to be awarded later. The advocates of psychological egoism claim that the hidden intention behind altruistic behaviors should deteriorate the value of altruistic behaviors. Rather, they criticize people who behave altruistically for not being aware of their ignorance of their latent egoism. However, given that we cannot know the intention of others no matter how hard we make an effort, we should see only results.  We save someone and he or she is benefited from our assistance.  That must be enough to judge whether we are highly evaluated. 


  Secondly, the fact that altruistic behavior creates satisfaction with not only a recipient but also a donor does not completely mean that the donor is egoistic. The advocates of psychological egoism blame people doing altruistic behavior for pursuing their happiness after all. The advocates of psychological egoism would say that John is not to be praised because he is just a person who feels happiness to donate a part of his salary. They even would presume that John make use of others for his happiness.  However, given that the advocates of psychological egoism is based on the assumption that everyone does what he or she wants to do, this theory has so strong explanatory power that it does not prove anything. We sometimes implement what we do not want to do. Going to see a dentist and doing something we have committed earlier are the good examples. In addition, the statement that the person who do something beneficial to others and feel happy as a result are criticized for an egoist makes me develop a feeling of strangeness. Right from the start, an altruistic person must be the one who feels satisfied to make others happy. 



       For those two reasons, I strongly believe that psychological egoism should not be endorsed when we view people’s behavior. The world would be full of doubts and fears if psychological egoism was true. 



<その他>
・論点の組み立て方、議論のインプットは、ジェームズ・レイチェルズ著;古牧徳生、次田憲和訳(2003)『現実を見つめる道徳哲学』晃洋書房 (第五章 心理学的利己主義)を参考にしました。
・他のスピーチの素はこちら

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